我が社についての話が、経営や社員の職場生活のあり方について考え直すための契機となればこの上ない幸いである。
社会主義、資本主義、色々なものがあるが、それはさておき、
あらゆるチャレンジの中で最も困難な目標を実現する組織の構築に専念しようではないか。
その目標とは、誰もが、朝起きると早く職場に行きたくなるような会社を作ることだ。
セムラーイズム
リカルド セムラー 著, 1994-08-01
倒産の恐れさえある小規模メーカーだったブラジルのセムコ社。父親から会社を引き継いだ弱冠21歳の経営者・セムラーは、前代未聞の企業革命を断行し、従業員の意識改革と売り上げ急拡大を果たした。その改革の全貌を描いた大ベストセラー
我が社についての話が、経営や社員の職場生活のあり方について考え直すための契機となればこの上ない幸いである。
社会主義、資本主義、色々なものがあるが、それはさておき、
あらゆるチャレンジの中で最も困難な目標を実現する組織の構築に専念しようではないか。
その目標とは、誰もが、朝起きると早く職場に行きたくなるような会社を作ることだ。
我が社の理念の底には、単純な、あまりにも単純な真理が横たわっている。
それは、企業は自らの将来は、その従業員にこそ託すべきだ、ということだ。
我が社の経営理念は、社会主義でもなければ資本主義でもない。
我が社は、この破産した2つのシステムから教訓を得、さらにそれ以外のシステムからも学び、それぞれの長所を取り入れることで、個人主義の持つ輝かしい飛翔力を台無しにしないように配慮している。
これでこそ我が社は、真の指導力が、「他者の同意を求める実りのない努力」の中で失われるのを防ぐとともに、人が、好きな時に好きなように働く条件を保障し、ボスが親父のように振舞い、従業員が子供のように従順に振る舞うことを必要とする職場環境を避けるのに成功している。
セムコ社では、「how to」型の拘束を破棄することで、多様性と相違が作り出す豊かな土壌を手にした。
我が社では、従業員が自分でテストし、疑い、反対する機会を提供した。
彼らが自分で必要なことを学び、将来の自分のキャリアを決定する機会を与えた。
彼らは、自らの通勤時間と帰宅時間を決め、在宅勤務をし、サラリーを自主的に決定し、上司の選択権を行使した。
我が社では、会社側も従業員側も、柔軟に考え方を変え、相互に影響を与え合った。
従業員は、会社が間違っていると考えれば恐れずにそれを主張し、証明しようとしたし、会社はこの過程で謙虚さを学んだ。
現代という時代を生き抜くには、企業は、変化を基本的原則として受け止め、
権威が、規則からではなく、人間への真の尊敬心から生まれるような組織構造を持たねばならない。
言葉を変えれば、成功する企業とは、生活の質を最優先課題とする企業なのである。
まずこの目標の実現に努力すれば、製品の質、従業員の生産性、会社全体の利潤、といったものは自然とついてくるのだ。
もし金銭の役割が過大評価されているとすれば、情報は、この世で最も過小評価されている財貨だろう。
他人の知らないことを知っていると、それは権力にさえ転化する。
これを知っているので、管理職にある者は、しばしば従業員と情報を共有するのを嫌がる。
トップ(CEO)に立つ一人による支配に代わって、今後のセムコはカウンセラーで構成する委員会によって経営される。6ヶ月に一回、カウンセラーのうち一人が順に最高責任者代行を務め、会社の法的代理人として行動する。
・・・・
民主主義の実行ほど難しいものはない。
完全な民主主義を実行することのほうが、自分の会社のマネージャーたちの意見を、
子供じみた快感のために推しきて自説を通すよりもずっと大切なのだ。
サテライト・プログラム(社員の起業家としての独立を助ける制度)の成功は、それが、「自分の会社の事業に直接利害関係のある人間」は、仕事により深く真剣に関わりを持つ、という考えにその基礎を置いている。
この結果は、良いことずくめだと言って良い。
当社の考えでは、トップのサラリーは初任給の十倍以内に抑えるようにしてきた。
これは、日本企業の場合の十二倍よりもさらに小さな格差であり、トップマネージャーが普通の現場要員の八十倍もの収入を得るブラジルでの慣行とは大変な差だ。
官僚制度とは、「ひょっとすると自分は不必要なのではないか」という心配と不安のある場合に、
自分の必要性を証明することに執心する人種によって作り出される。
そして、一度ボスとなれば、常に何か仕事をしていなくてはならない彼らは、自分の必要性を確かにするために手当たり次第に物事を複雑化するのに熱中する。
従業員は、会社の利益は彼ら自身の利益だと考えている。
人当たりの良いだけのボスは、短期的には従業員にとって楽ができるかもしれないが、
同時に彼らは、自分の部の事業が成功しなければ利潤の分配に預かるわけにはいかないし、基本給の支払いも安定しないという事実を知っている。
専門職の者は、1,2年に一度は、数週間から数ヶ月の休暇を取れる。
これは仕事からの過労を癒すものではなく、キャリアの流れに切れ目を与えて、
本人がも自分の職場生活とキャリアについてもう一度考え直す時間を作ることが目的だ。
セムコ社での仕事のプレッシャーはまた格別だ。
というのは、我が社では、すべてが市場競争原理で動いていたからだ。
当社では、誰一人として、景気不景気の波や、ブラジル経済の影響から保護されてはない。
このような生活は誰もができることではない。特に、壕の中に隠れる兵士のように、自己防衛の壁の中で暮らしている官僚たちには耐えられないだろう。
初期の利潤分配制度の一例は、従業員の出した提案を会社が採用した結果生まれた売り上げ増の一部を本人に還元する、という主旨のものだった。
もし当社の上級管理職が自分のサラリー開示を恥ずかしく思うとすれば、自分はそれにふさわしい仕事をしていないと当人自身が感じているからかもしれない、ということが見えてきた。
自分がサラリーに見合うメリットのある仕事をしている場合には、専門分野の知識、実務経験、教育等、たとえ何であっても、簡単に相手にそれを証明してみせることができるからだ。
上級管理職は、その収入を誇りに思うべきで、それは、他の社員全員に頑張ろうという気を起こさせる十分な理由でもあるのだ。
朝出勤するものは、それぞれ3色に塗り分けた札を自分の名前の下にかける。
緑は「気分よし」、黄色は「要注意」、赤は「今日は駄目ー明日にして」という意味だ。
単に面白い遊びにも見えるが、従業員たちはこれを真面目に取り上げ、自分の色を慎重に選び、他人の色に気配りするようになった。
普通の日にほとんど全部が緑色だった、ということを付け加えておこう。
新しい生産単位は完全な自治権を持つ。
マネージャーは自分の思い通りに工場をセムコ方式で管理する。
本社のスタッフは、会計、人的資源、そして依頼があれば、戦略に関する意見などを提供する。
もし工場側が本社の人間はいらないというならそれもいいのだ。
工場が期待通りの業績を上げている場合は、本社の人間が顔を出すのは何ヶ月に一度といった具合になるだろう。いい意味で放置されるのは向上がちゃんと運営されている証拠だ。
小さな工場では、誰もがお互いをファーストネームで呼び合うほど知り合えるし、
計画や戦略を共同で討議し、自分もそれに参加しているという実感が持てる。
それが「帰属」意識の原点なのである。
従業員を責任ある真面目な大人として扱って結果を期待するには、
彼らと職場での仕事に関する情報を共有し、
彼らをそれに影響を与えることのできる立場に立たせる以外に方法はありません。
ゴアをはじめとする様々な企業を訪問したヴェラミントンはそう語った。
単なる生産の道具として人間を扱って良い時代はもはや終わりに近づいている。
ほとんどの連中は、相手の粗探しや批判にだけ熱心で、協力して物事をやろうとはしない。
ボスであることばかりに執着しているのだ。
権限と権威主義とを混同し、部下を信用しないのだ。
どのような事柄でも、その結果から直接に影響を受ける人間の決定に任せる、
というのが当社の人事労務政策の方針だ。
成功の秘訣を聞かれた起業家が好んで使うセリフは、「実に大変な苦労をした」というものだ。
しかし、もし大成功した起業家が本音で答えるならば、おそらくはその多くが
「タイミングの絶妙さ」「商機を見る能力」「持つものは友」「必要な時の強引さ」それに「幸運」といった物を挙げるだろう。
勤勉な努力だけでは十分ではないのだ。
我が社が削ぎ落としてきたのは、生産性そのものを損なう、盲目的で非理性的な権威主義なのだ。
当社の従業員がすすんで行っている「自治」と「自己管理」を、私は大いに喜んでいる。
それでこそ従業員は、自分の職務と会社に対して前向きの関心を抱くようになるわけで、これは会社全体にとって良いことなのである。
セムコ社では、出張先での経費は社員が自分の判断で決めることにしている。
どのくらい経費を使うかを心配するくらいなら、彼らを自社の代表として海外に行かせる方が間違っているのではないだろうか。