喜色(うれしそうな顔色・顔つき。)というものは作ろうとして作れるものではない。自然に出てくるものである。
自然に現れるようにするには、困難を嘆かず可能を信ずることである。
また、物事に対して、全て善意に解釈することも必要だし、冗句冗談もまた一徳と言えるだろう。
人の用い方 (社長の帝王学シリーズ)
井原 隆一 著, 2019-03-25
WBC前日本代表監督 栗山英樹推薦!
組織を活かすとは、人を活かすこと」
いかに人を求め、よく用いるか…
「平凡な人を用いて活かす」井原流人財活用法
人の用い方は、経営者の避けて通れない盛衰の掟(おきて)である。どんなに優れた商品・技術に恵まれても、人をよく用いることができなければ、事業の繁益は実現しない。人は用い方ひとつで、眼光かがやく精鋭に一変させることができる。社長の願い通りに、一丸となって高収益を稼ぎ出す体勢をどう作りあげるか…活人倍力の人、井原隆一氏が実際に経営の現場で活用し、目をみはる実績をあげた数々の具体的手法をあますところなく示唆した書
喜色(うれしそうな顔色・顔つき。)というものは作ろうとして作れるものではない。自然に出てくるものである。
自然に現れるようにするには、困難を嘆かず可能を信ずることである。
また、物事に対して、全て善意に解釈することも必要だし、冗句冗談もまた一徳と言えるだろう。
逆境のなかで笑顔を作ったとしても、周囲がまともに受け止めることはなかろう。
心からの笑顔でなければならない。真に心からでた喜色であれば、一見してそれと理解されるはずである。
それなら、そうした心境になるにはどうあるべきか。
私の経験からしたら道は一つ。逆境は切り開くことができるという自信以外にない。
感謝の気持ちを持つことは、自分の心を平和にする道だ。
感謝の気持ちに徹底してくると怒ることがなくなってくるし、まずいものもうまく食べられるようになる。
だから自己修養とは感謝の心を磨くことである。
何事も感謝の気持ちで受け止める人は、厳しく叱られても、自分の向上のためと考えるが、
その気持ちがない人は、こらしめのために叱られた、憎くて叱られた、と考える。将来、これが大きな差になる。
感謝とは人間形成に欠くことのできないことである。
幹部は、しないでもよい仕事はできるだけ怠けて部下に任せ、時間を作り、幹部らしいことを考えるべきだ。
出藍の誉れという言葉があるが、それが一番はっきりしているのが相撲界。
自分の師や先輩を負かすことが恩返し、師や先輩は自分を負かすような弟子や後輩が現れることに誇りを感じている。
とかく、人は功を急ぐ。急ぐあまり目先の小さな利益をつかもうとする。
そのため将来の大きな利益がつかめなくなる。
また、目先の小利に目がくらんで、道に外れたことに手を出して後に悔いを残す。
大志ある者は、信じ任せるに足る人材を求め、育てて組織の拡大を計るものである。
欠点よりも優れた点が大きければ、部下に仕事を任せてしまうだけのおおらかさも出てくる。
人を信じないものは、十の長所中に一つの小さな欠点があるだけで、全てが信用できなくなってしまう。
威厳というものは外見を装ってもつくものではない。
徳を積み、能力を高めるなど、人としての力をつけるところから自然に現れてくる。
温情をもって導き、軍律をもって統制しなければならない。
権力や暴力でしたがわせようとしても、心か従うものはいない。
温かい思いやりの心であたれば、心から服して従うことになる。
何事をなすにあたっても、人の気力が全てを決するといっても過言ではない。
部下に計画を立てさせる。
任せられた以上、自分で考えなければならない。自分の考えを計画として作る。
それを見て、どうでも良さそうなことには目をつむり、満点の出来栄えとして褒める。
その際、最終的に自分の考えを明かすことも欠かせない。
ただしその場合、「計画を頼むとき自分としてはこういう計画を作るのではないかと考えていたが、
これを見ると、私のより良くできている、これで実行してもらいたい」という具合に
部下に花を持たせてやることが肝要である。
勇気の源泉は自分を捨てることにある。
権力、名誉、財産などを得ようとする欲、守ろうとする欲、
増やそう、減らすまいとする欲から離れ、
無心になって目的に突き当たるということである。
その結果はかえって名利が増えたり、守られたりするものである。
自分を捨てきれないから、減らしたり、失うことになる。
目の前にぶら下がっている小利に目が眩んで将来に得られるであろう大利を失っている。
天は人間に、なにか世のために役立つ才能を与えてくれている。
この才能をどう見出すか、そして、この人間の役立つ点をどう伸ばしてやるか、
という温かい心以外に人材登用の鉄則はない。
名君というものは、「一顰一笑を愛しむ」といわれるとおり、
眉をしかめるのも笑うのも理由あってのことである
王者たるものは朝から晩まで、徳を積むことに励まなければならない。
小さなことだからといって慎まないと、大きな徳をも失うことになる。
その繊細な気配りに感嘆してしまう。
こうした繊細な神経は下の人間からみれば、
「自分たちにも思いやりがある」「行き届いた配慮がなされる」という期待ともなる。
それが次第に尊敬に変わり、無言の威厳ともなっていく。
「まず第一に社員を落胆させないことだ。その次には社員の希望をかなえて喜ばせること」
「"胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す。智は円ならんことを欲し、行は方ならんことを欲す"
という言葉を言われたことがある。
度胸は大きく、心は細かく、知恵は円満で融通がきき、行動は方正で厳格なのが良い、という意味だが、
このうち一つや二つあてはまることがあるだろう。それを社員にそれとなく示せばいいのだ。」
組織ぐるみで発展のために全力投球させるものは、トップ自らが志す方向を定め、全体をその方向に向けさせることである。
いかに精鋭ぞろいであったとしても、バラバラ攻撃であっては小さな砦一つ落とすことはできなかろう。
人には多少に関わらずやる気がある。それを力強く引き出すのが謙虚といえるのである。
「老子」に「善く人を用うる者は之が下と為る」(上手に人を使うものは、相手に対してへりくだる)とある。
言い換えると、人を巧みに使いこなす人は、頭から命令など下さないで、下手にでて、人の力を最大限に活用することになる。
ある社長は、部下の心を自分の心とすることが人使いの妙手、と言ってくれたが、
平社員の心も自分が平社員であったころの心も同じなのである。
どうも人の心はわからないといういうなかれ、自分に聞けばわかる。
父の道は当に厳中に慈を存すべし。母の道は当に慈中に厳を存すべし。
(父親たる者は、厳格の中に慈愛がなければならない。母たる者は、慈愛の中に厳格さがなければならない。)
謙虚は人望を得る最有力な武器だ。
若い社員に対しては、母親になったつもり、小学校のせんせいになったつもりで、親身になって教え導くことだ。
孔子は、「近き者説べば遠き者来たらん」と答えた。
家臣や領民など近いものが喜ぶように政治をすると、遠くに住む人々が評判を聞いて慕って集まってくるということになる。
これを企業に読み替えたらどうだろうか。
会社に近きものは社員、顧客、株主である。
この三者が喜ぶ経営、これこそ会社経営の基本としてゆるぎないものと言えるのではなかろうか。